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「死にたい」という言葉を聞かない日はまずありません。深刻なものから、ふっとそう思った、という程度のものまでさまざまですが。


この言葉になんとか答えようとするのが、心の医療の現場です。

「死にたい」について尋ねると、「消えてしまいたい」とか、「この世からなくなってしまいたい」と言う場合が多いです。

「この世には価値なんてないんだから、生きていてもしょうがない」とか、「人間どうせ死ぬんだから、何をやっても意味がない」ということだと思います。

<↑このことをニーチェは「ニヒリズム」と言いました>

「死んでしまえば、苦しいことから逃れられる」と考える気持ちは、分からないではありません。

<↑これを「無への意志」と言います。たいていの宗教の背後には、これがありますよね>

「苦しいことから逃れたい」という考えに取りつかれている人を、「楽しいことをしたい」という考えに変えるのが、治療の目標といえるでしょう。

<↑これは「ニヒリズムの克服」ですね。=受動的ニヒリズムを、能動的ニヒリズムに変えるわけです>

死にたいと言う人は、世の中に対して恨みの気持ちを持っていることも多いです。社会がいけない、親がいけない、他人がいけない、というような気持ちです。「もし・・だったらなあ」という気持ちもそうでしょう。

<↑これを「ルサンチマン」と言います>

こういう気持ちがあると、幸せが感じにくくなくなります。恨んでもどうにもなりませんよね。だったらこんなこと忘れてしまいましょう。(弱者の宗教であるキリスト教は、かつてルサンチマンに耐えろと言っていました)

<↑これが「ルサンチマンの克服」です。恨みは忘れちゃえばいいんです>


生きている意味はないと絶望して、死を求めるのではなく、生きることによって、世界に意味を見出しすことが大切です。

(=快楽を求めましょう。人生を楽しみましょう)

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というようなことが、僕の治療の根本です。惰性で生きるのではなく、より積極的に楽しい人生を送ってもらいたいと思います(お節介なようですが)。

社会によって生かされるのではなく、自分で生活の糧を稼いで、好き勝手なことをやってもらいたいと思っています。

<この間、統合失調症の患者さんが社会復帰しました。僕の中では何年越しのプロジェクトでした。職場を覗いて来ました。彼女の表情は、それまでとはまるで違っていました>


2012.03.01 / Top↑
広汎性発達障害(PDD)とは、


・対人関係の障害 (視線が合いません。感情を伝えるのが下手です。他人と興味を共有するのが苦手です)

・ことばの障害 (言葉が遅れます。一問一答の答えになります)

・特徴的なこだわり (興味の範囲が極端に狭いです。その対象が風変りなことも多いです)

この3つが広汎性発達障害の特徴です。

ざっくりいうと、

この3つの障害があるのが自閉症で、ことばの著しい障害がないのがアスペルガー障害です。

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高機能広汎性発達障害 HF-PDD(High Functioning ーPDD)とは、

知的障害のないものを言います。アスペルガー障害はほとんどこれです。自閉症の一部もこれに含まれます。

一言でいえば、「病的に空気が読めない人」と言えばいいでしょうか。

これは、正しいとか間違っているとかということとはちょっと違います。

これから会議が始まるとしましょう。少々緊張を強いられる会議です。目の前にはコーヒーとケーキが置かれているとします。まだ誰もそれに手を付けていません。ふつう、議論が山場を越えて場が和んだところでお茶にするはずです。それをいきなり席に着くなり、むしゃむしゃとケーキを食べたら変わり者ですよね。

いけなくはありませんが、空気ってものがあるじゃないですか。説明されなくても。

結婚式で花嫁さんがご両親にへの手紙を読んで、みんなが感動しているときに、いきなり大声で「すみません、トイレどこですか?」と聞いたらその場がぶち壊しですよね。

また、コミュニケーションは、言葉だけではなくて表情や声の抑揚などが重要ですよね。いつもよりわずかにトーンが違っているので、実は言葉ではOKと言いながら、あまり乗り気ではないんだな、と想像したりします。

「近くに来たときには、ぜひお立ち寄りください」言われても、それを鵜呑みにしてすぐには行きませんよね。

なぜ空気が読めないかというと、ひとつには言葉を文字通りにしか理解しないからです。言葉には広がりがあるし、裏があるし、行間があります。常識には一定の弾力があるじゃないですかね。

彼女に、「私だけを見ていて」と言われて、文字通りその通りにしたら、おかしいですよね。

たまたま、ある発達障害の方(患者さんではありません)と交差点で一緒になったことがあります。

「今日は、特に寒いね。いつごろ暖かかくなるかな?」

そんな風に話しかけたはずです。その後しばらくして、質問されました。

「どうしてあの時に、いつ暖かくなるのか、と質問したんですか?」と聞かれました。文字通り、いつ暖かくなるのかと質問されたと思ったからです。

彼には、世間話というものについて、延々と説明しました。

彼らは、言葉には厳密な定義がないと困ります。逆に言うならば、厳密な言葉の定義を必要とする職場には適しているといえるかもしれません。

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高機能広汎性発達障害は、脳の障害で起こります。育て方の問題ではありません。ですが、現時点では医療というよりも教育や指導が中心になるでしょう。医療としては、対症療法的に薬物療法をします。興奮のしやすさやこだわりやすさを薬で緩和したり。

発達障害の方もクリニックに良く来られます。特効薬があるわけではないので、地道に良くしていきましょう。



2012.02.29 / Top↑
自己開示にはストレスの低減効果があります。


自己開示とは、自分の弱い部分を口に出して相手に話すことです。

女性は自己開示が得意です。女性の一番のストレス発散は、友達とおしゃべりすることでしょう。彼氏や仕事や夫や家庭の愚痴などをこぼしてすっきりするわけです。

男性は自己開示することは稀です。自己開示をしているように見えても、細部はかなり修正しています。

奥さんが怒って実家に帰ってしまい、離婚の話がすすめられていても、仕事上のストレスで眠れないといって、外来を訪れる場合があります。(奥さんも旦那さんに内緒で来ているので知っているのですが・・)

そもそも、心療内科の外来で、女性からあれだけ聞く、恋愛にまつわるトラブルを男性から聞くことはまずありません。

女性は、男性が自己開示してくれないことを物たりなく思っていることも多いです。相手が何を考えているのかさっぱりわからない、という方は多いです。

相手に自分のことを良く知ってほしいので、自己開示します。誰にも言えなかったことを言うと、その相手のことを特別だと思うでしょう。言われた相手も、そんな相手のことを好きになります。

開示されると、相手もそれに応えて自己開示します。

もっとも、どんな相手にどの程度まで開示するかには慎重になる必要があるでしょう。酔っ払って、言わない方がいいことまでしゃべってしまうと翌日落ち込みます。

<自己開示されるのは得意ですが、自分が自己開示するのは難しいですね>


2012.02.14 / Top↑
患者さんに、どんな性格かを尋ねます。


自分では自分がどんな性格だと思っているかです。これと、家族が感じている性格は違います。職場の同僚や友達の見方も違うでしょう。

人は、場面ごとに見せる顔が違うからです。

また、人と違う部分の方が目立つのではないでしょうか。変わっている部分や。

ですが、こういう方々に数多く接していると、むしろ類似性に目が行くようになります。家族の中ではそれぞれが個性的だとしても、他の家族と比べれば似ている部分が多いですよね。かなり違って見える二人がいても、外国人と比べたら共通点が多いでしょう。

性格を考える時には、こんな風に見方を変えてみることが大切だと思います。ご本人が特別だと悩んでいる性格は、案外よくある性格かもしれませんよ。

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患者さんのご家族が、症状を細かに説明してくださっている時に、別のことを考えていることがあります。ご家族にとっては非日常的な体験も、ごくありふれた症状のことが多いからです。

そんな時には、ふんふんと聞きつつ、むしろご家族と患者さんの関係はどうなのかとか、その話を患者さんはどんなん表情で聞いているかを観察していたりすることがあります。

車の故障の原因について、頭を捻ってあーだこーだと難しく考えたのに、専門家が見れば実にありふれた故障だったりするのに似ているでしょう。
2012.02.07 / Top↑
ヤマアラシのジレンマ (あるいはハリネズミのジレンマ)


やまあらし



冬の寒い日のことです。ヤマアラシの夫婦は暖を取ろうと身を寄せると、お互いの針が体を刺します。離れると寒さに凍えます。

このジレンマのことです。

ショーペンハウエルの寓話を、精神分析学の創始者であるフロイトが引用して定式化しました。

以前、「あなたがここにいて欲しい」のところで、ちょっと触れました。

<Porcupine Dilemma といいますが、Hedgehog's Dilemma とも言います。英語ではヤマアラシがporcupine、ハリネズミがhedgehogです>

離れると淋しいのに、近づくと喧嘩をしてしまうことってありますよね。親子、夫婦、友人、同僚、恋人などあらゆる関係で。

試行錯誤して、ちょうど良い距離が見つかればいいですが、このジレンマが強過ぎる人(ボーダーライン=境界例)の場合にはなかなか難しいです。

それほど親しくない人に無視されても、それほどショックではないですが、恋人に無視されたら落ち込むでしょう。こちらはそんなに親しいと感じてなくても、相手はとても親しいと感じていることもあるでしょう。これは、二人の針の長さが違うのでしょうね。

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以前書きましたが、最近日本では対人距離がかなり遠くなっているように思います。

実際にヤマアラシの棘が長く鋭くなっているというよりも、そう思い込んでいるだけなようにも思えます。また、ちょっとした傷で、すぐに傷つくほど心が柔らかくなっているのかもしれません。


2012.01.31 / Top↑

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